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神奈川県横須賀市衣笠町にある曹洞宗の寺院、金峯山 大善寺です。
大善寺は、三浦一族の本拠地であった衣笠城跡の麓に位置し、古くから地域の皆様とともに歩んでまいりました。
境内には、長い歴史を伝える仏像や史跡が残されています。
ご参拝をはじめ、法要や供養などのご相談も承っております。
歴史
奈良時代、行基によって開山された。当初は修験道当山派の寺であった。
1618年(元和4年)に徹岸によって曹洞宗に転宗した[1]。
当寺の本尊は阿弥陀如来であるが、修験道時代は「不動院」の院号が物語るように不動明王であったと推測される。この不動明王像は、衣笠城を築城した三浦為通が城内に安置したもので、敵が放つ矢を受け止めたことから「箭執(やとり)不動」と呼ばれている[1]。
衣笠山と大善寺は、三浦一族にとって心のよりどころであり、大切な信仰の場所でした。三浦一族は、平安時代後期から三浦半島を中心に勢力を広げ、衣笠城を本拠地として地域を治めました。
大善寺に伝わる不動明王は、三浦一族の二代・為継が後三年の役に出陣した際、戦場に現れて為継を守ったと伝えられています。この伝承から、矢を取り払って武将を守った「矢取不動」として信仰されてきました。
大善寺の仏像や衣笠山に残る信仰の跡は、三浦一族にとってこの場所が単なる城ではなく、精神的な支えとなる聖地でもあったことを伝えています。
衣笠城は、康平年間(1058~1064年)に三浦一族の祖とされる三浦為通によって築かれたと伝えられています。大谷戸川と深山川に挟まれた丘陵全体を利用した山城で、為通、為継、義継、義明の四代にわたり、三浦半島経営の中心地となりました。
現在、天守や大規模な石垣は残っていませんが、自然の地形を利用した曲輪跡や岩場、古道などから、平安時代末期の山城の姿を感じることができます。衣笠城跡は、昭和41年(1966年)6月15日に横須賀市指定史跡となりました。
鎌倉幕府成立へつながる歴史の転換点
治承4年(1180年)、源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、三浦一族はいち早く頼朝方に味方しました。しかし、三浦一族の本拠地である衣笠城は、畠山重忠ら平家方の軍勢に攻め囲まれます。
激しい戦いの末、三浦一族は棟梁の三浦大介義明を城に残して脱出しました。城を離れた一族は安房で源頼朝と合流し、その後、鎌倉へと進みました。衣笠合戦は、鎌倉幕府成立へ向かう歴史の転換点の一つとして語り継がれています。
衣笠城址には「旗立岩」と呼ばれる大きな岩があり、衣笠合戦の際に三浦一族の旗を立てたと伝えられています。
物見岩は衣笠城址の見どころの一つです。プロジェクト内の動画では、この岩の下から経塚が見つかったと紹介されています。経塚は、経典などを納めて後世に伝えようとした信仰の遺跡です。この伝承からも、衣笠山が三浦一族にとって大切な信仰の山であったことがうかがえます。
主な見どころは、歴史を感じさせる石段と石垣、木造の本堂、衣笠城址の標柱、衣笠合戦に関する史跡、旗立岩、物見岩、自然の地形を利用した曲輪跡や山道です。
石段や山道には傾斜があり、雨の後などは足元が滑りやすくなる場合があります。歩きやすい靴でお越しください。寺院境内では静かに参拝し、私有地や立入禁止区域には入らないようお願いいたします。